地球は丸いなんて誰も思ってなかったように、原子や素粒子で物が出来てるなんて 誰にも想像できなかったように… もしかしたら、今 僕の見ている世界は、パラレルワールドなのかもしれない…。1/∞秒の間に、別のパラレルワールドに飛んでいるのかもしれない…。となりにいる人が、1秒後は全く別の人かもしれない。
僕は、巨視的に、タイムトラベルを仮定した。現代Oと10年後の過去の未来A′などだ。それらは、6次元とか多次元で考えることができると。だけど ひとつ問題があった。(5次元的に、) 運命は決まっているのだろうか? 実存的に、たとえ自由意志があっても、やっぱり、決まっているのは切ない…。今僕は、微視的にパラレルワールドを仮定している。巨視的な、多次元パラレルワールドとは仕組みが違うので、分けてほしい。もし10年後 僕が死ぬなら、本当に10年後 死んだときに、(他者が?) あぁ…運命は決まっていたんだな…と思う。決まっているなら、未来を知りたくなる。Oの10年後とA′は別世界だから、決してそういう未来を知ることはできない。タイムトラベルをしても分からないものが未来であることは見た。私達の認識は4次元的であり、実存の自由意志を越えて多次元的にならなければ、未来は見えない。それは人にはできない。それでも5次元的に未来を予測することはできた。私達の世界Oの現在と同じことを既に経験している 過去の未来A′に行けば良い。ただし 一度でもタイムトラベルすると歴史がズレるので また、Oに近い世界A″に行かなければならないなど。A′からA″に乗り換えるのが簡単かも分からない。そして そこまでしても、現在から遠い程、未来は予測できない。そして、この世界Oは、僕がタイムマシンを使って(4次元的に)何をしようとも、5次元的に、決まっている。何かしても何もしなくても、実存的に自由意志を貫いたことになる。そして、それでもその先に人の及ばないところで 未来は決まっている。別に、人が及ばないのだから関係無いと言えばそれまでだが、実際に初めてパラレルワールドを仮定した人や、予知夢を見る人など、何かしらこういう世界に敏感な人は、どこかで、決まったことに閉塞感を覚えるのではなかろうか? 自分の中に宇宙を感じるのではなく、宇宙の中を漂っていると感じるのは虚しいものだ。
だがもし、私達が一瞬で無数のパラレルワールドを経験しているのだとしたら、決まった未来すらなくなる。10年後死ぬのが運命だった… これが多次元認識であるのに対して、10年後死ぬ運命の世界も通ったかもしれないね! こういうふうに、すごく軽くなるのが無次元認識である。実は、無限の世界に無限の世界を永遠に仮定することになり、これでは世界の実在性が無くなるので、世界は幻影であるという知恵の伝統をもじって、無次元パラレルワールドとした。これは、パラレルワールド間の 戦いや交流すらも 小さなことに思えるくらいの衝撃を与えるので [L/11]と定義できるかもしれない。〝超合理的な世界は合理性を含むので合理的に説明することができる。ただし合理的に体験することはできない。〟 まだ可能性がある方だ。
何より、多次元パラレルワールド(L/9,L/10)が本当に存在しないと、無次元パラレルワールド(L/11〜)は無いことになる。逆に、後者が無くても前者のみ存在する可能性はある。(後者はパラレルワールドを肯定するので、前者を含んでいる。) [L/11]は、偶然性と必然性の宇宙をさらに包含している。([L/10]的に運命は決まっていないという[L/11]的な自由感がある。)
つまり 僕はどこにいても不思議ではない…僕はどこにもいない…僕は宇宙に無次元的に包まれている…と、最高の自由を感じることができる。もちろん、パラレルワールドの存在を実感していない以上、私はこの自由を合理的にも超合理的にも体験することはできない。(どちらにせよ合理的には無理。超合理的になら、可能性はまだある。)
多分、[L/10]の多次元パラレルワールドが無ければ まずアホらしくて仮定すらできないような現象なので、そういう時代に、[L/10]のタイムトラベル社会を実際に体験してその文化の中で生きていないと、[L/11]の自由を感じるきっかけすらつかめないだろう。死んだ恋人が生きている時代に…的な欲求すべてを受容して初めて行ける境地なのだろう…。なるほど。合理的に説明できる(構造は見えている)のに、全く、合理的に体験できない…とはどういうことなのか…。なんとなく今日、こういうことな気がした。今の私達には非合理的な空想のように思えて、[L/8]にあったとしても前・超の虚偽を犯してしまいそうな世界だ…。合理的に説明できても、合理的な方法で存在が確認できなければ、合理的と言うことすら疑わしくなるのが人間という生き物なのだ。
とにかく、[L/11]で ほぼ すべての、時空間(運命)に対する不安や心残りは消える。垂直的な悟りの境地か。それでも宇宙[コスモス]は常に退いてゆくので垂直的にすべてとひとつになることは無いだろう。ただ、今の私達にとって、[L/11]の無次元は ほとんど悟りである。〝死ぬ〟ことの意味、〝出会う〟ことの意味さえも、[L/11]の構造は、変えてしまうはずだ。とにかく、外面(表面構造)は[L/11]ですらも合理的に説明できるが、内面(深層構造)は、[L/9]以降、ほぼ説明不可と言うことなのだ。いわゆる〝永遠〟は私達の内面で深く深くさらなる目覚めを待っているのである!
今現在、人は入れ換わっている。パラレルワールドを飛んでいる。飛べる世界は この瞬間、全く同時代の全く同じ世界(現在まで4次元的に一致している世界)である。タイムマシンが出来た世界(L/9,L/10)でも まだ実証されていない程の世界。そうだ!! この世界はパラレルワールドだったんだ!!! 最高のコメディ。エンターテイメント。こんな世界があるかもしれない。ないかもしれない(笑)
♢
好きな人に会いにゆく。時空を越えて会いにゆく。
君とハッピーエンドを迎える未来も、そうならない未来も すぐそばにある。でも僕は会いにゆく。全力で会いにゆく。奇跡を起こしてみせる!! 君とハッピーエンドを掴んでみせる!!
超-実存的に、人は、強く願えば その世界に引きよせられる。夢は叶う。僕は、望む未来が来る〝今〟という世界に今!今!今!この瞬間につかみとる。キスをするほんの一瞬。最高のパラレルワールドへ。最高の今へ。もしかしたらそうなのかもしれない。今を最高に最大に全力で そして流れるように生きる、瞬間瞬間が、誰にも決定できない、究極の奇跡なのかもしれない!!!
そして彼はこう思う。パラレルワールドはあってもなくてもおんなじなんだね!(もしかしたら今、還元したかもしれない。)
だが確かに 第2層(L/7〜L/8)に達すると、〝今〟を生きることが出来はじめる。何だかよく分からないが、〝今〟というのが 超越的な ただならぬ意味を持っている 実感におそわれるのだ。高次の直感。それがパラレルワールドにつながり、今につながるのかもしれない。
(L/9,L/10)は、巨視的(多次元)パラレルワールドである。主に、実際の空間を、タイムマシンを使って、移動する。時代差を意識し、人生を生きる。現代Oや過去の未来A、未来の過去Bを行き来し、創発をつかまえる。しかし彼らは、OやA、Bの世界それぞれは1つだと信じても良いし、無限だと信じても良い。彼らでさえも ほんのいくつかのパラレルワールドを行き来し、理解するだけで精一杯であろうし、仕事ならなおさらだ。
そして後者の〝無限〟こそが (L/11〜)、微視的(無次元)パラレルワールドであり、自分が生まれ育ったO、10年後のA、10年前のB、それぞれ明らかに巨視的にはひとつの独立した世界であるはずのそれが、実はひとつでなかったことを意味する。どこのパラレルワールドにいても、人は、信じる信じないにかかわらず、同じ姿の時空間の別の世界(群)に微細に飛ばされ続けている。実は生きることはすごいことだった。この世にはとてつもない法則があった。もしそうだとしたら、[L/11]の科学はどうやってそれを証明するのか!? 素粒子レベルで痕跡を捕捉するのだろうか。これは人類の、運命に対する最後の戦いかもしれない。無限の世界が自分の内部を通る。パラレルワールドは自分の中にある。それを本当に認識する戦いだ。
巨視的(多次元)パラレルワールド[L/9,L/10]は、目に見える、人工的に起こす現実。微視的(無次元)パラレルワールド[L/11〜]は、常に 何もせずとも起こっている自然現象。[L/11]でなければ立証できないが、どの世界においても絶対に起こる現象。現代で言うと、身体から中性子が出たり…というふうになる。[L/6]で立証されたら、どの世界でも起こっていることが明らかとなる。とにかく、立証されるまで(原子やパラレルワールド等、その構造に合った仕組みが幅広く理解されるまで) 誰もそんなことは起こってはいないと考えるのだ。(考えない。)
現代は、タイムトラベルをワームホールと光の速度で仮定しているが、自分殺しのパラドックスが解決できなければ タイムトラベル自体不可能になる。逆に 理論上、(素粒子1粒だけでも?) 可能であることがわかれば、ほぼパラレルワールドが証明されたことになる。もしそうなったら、無次元パラレルワールドの現象も射程に入ってくる。
ちなみに、無次元パラレルワールドの現象は、全く同じ姿の世界(時空間)の間で、本人(の魂?)が入れ換わる現象を言う。〝交換現象〟などと呼べるだろう。しかも現象学的には動くのは世界である。多次元パラレルワールドにタイムトラベル中でも〝交換現象〟は起こるため、多次元パラレルワールドを超越しており、当然(時代差も無く)タイムトラベルの対象にならない。(というより、巨視的には1つの、微視的には無限の世界に タイムトラベルするというふうになる。) 考えてみると、世界は不思議だ。
(2011年4月下旬)